徳川式紙相撲の紹介

0.大相撲と紙相撲の関係

 1976
(昭和51)年から1977(昭和52)年までの大相撲(日本相撲協会)は、第54代横綱の輪島大士(花籠部屋)と第55代横綱の北の湖敏満(三保ヶ関部屋)が、千秋楽の結びで優勝を争うという大一番を繰り返し、「輪湖時代」と称されて大いに人気を博した。私も輪湖時代に魅せられた小学生の一人である。

1975(昭和50)年に発行された切りぬく本『子供の科学別冊おたのしみ号「トントン紙相撲」』(以下、『トントン紙相撲』)の裏表紙には、当時の横綱であった輪島(左)と北の湖(右)を連想させる力士が掲載されている大相撲の人気と紙相撲の人気が連動していたことが推察できる一枚である。

1.昭和の紙相撲ブーム

 1970
年代、日本紙相撲協会(1954年に設立の愛好家団体)の初代理事長であった徳川義幸氏の考案する紙相撲(以下、徳川式紙相撲)の活動の様子が、テレビ・新聞・雑誌などで報じられると、紙相撲に夢中になる子供が多く現れるようになった
1975(昭和50)年に徳川式紙相撲を紹介する切りぬく本『トントン紙相撲』が発行されれば、たちまち増刷されるという人気ぶりであった

小学五年生のとき(1976年)、学校行事の一つであった「工場見学」では、「三菱ふそう」を訪れた。見学の記念として、会社案内の資料に加えて、切り抜いて遊ぶ紙相撲の力士(6体)が配られた。今よりも娯楽の少なかった当時、いかに紙相撲という遊びが、子供たちの日常に溶け込んでいたのかが分かる出来事でもある。

2.徳川式紙相撲の特徴

 徳川式紙相撲(日本紙相撲協会)は、本場所を開催する国技館があり、部屋制度があり、番付があり、このように、「いかに大相撲に近づけるか」を目指して運営されている
力士の形態に規格を定め、公正な「たたき手」によって力士たちを土俵(一辺14cm、円の直径12cm)と土台(高さ3cm以上)で躍動させる。大相撲の力士の動きに近づけるために左右の腕の高さを変え(右腕が上、左腕が下)、すべての取り組みは、左四つの体勢から「ハッキヨイ(発揮良い)」の声が始まる。

なお、土台の上(土俵と土台の間)には、一辺を約8mmの立方体に切った消しゴムが4つ、等間隔(約5cm)で接着されており、土俵と土台の間に適度な隙間を与えている。「たたき手」の左右の人差し指と中指の動きによって、土俵に緩やかな振動を与え、紙相撲の動きを大相撲に近づけようとする工夫がなされている。徳川式紙相撲の最大の魅力は、力士たちがまるで生きているかのような動きをする点にあろう。

 前述したが、1970年代には徳川義幸氏が開催する本場所をNHKテレビが生中継するほどの「紙相撲ブーム」が巻き起こった。1975(昭和50)年に発行の『トントン紙相撲』は、2019(令和元)年には復刻版が発行された。50年の時を経た現在でも、日本紙相撲協会は、徳川式紙相撲の研究と普及に努めている

【参考文献】
1小川茂男『子供の科学別冊おたのしみ号「トントン紙相撲」』誠文堂新光社(1975)
2日本紙相撲協会『トントン紙相撲』誠文堂新光社(2019)
3)日本紙相撲協会・徳川式・公式ホームページ
 紙相撲 |日本紙相撲協会 |徳川式 |公式ホームページ (kyomen.wixsite.com)
(4)朝西知徳『卓上スポーツ・徳川式「紙相撲」の実践と普及』羽衣国際大学現代社会学部研究紀要第11号(2022/03)

朝西紙相撲連盟